物語を書く
山田夏蜜は小説、詩、短歌といった言葉の使い手として普段は札幌をふらふらしている。
児童文学やファンタジー映画を真似して物語を書き始めたのは小学4年のころ。大学の論文コンクール創作部門で佳作となり賞金をもらったが最後、アメリカンドリームを脳内に描いて未だにこの世界にしがみついている。
札幌市民文芸、札幌市民写真展、ギター音楽祭など、札幌市が主催するアート・演劇・音楽のイベントを総称して『札幌市民芸術祭』と呼ぶのだが、各公募にて1位をとると、「札幌市民芸術祭大賞」受賞となる。
山田は最初、短歌を市民文芸に応募していた。大賞・奨励賞・優秀・佳作と順位があり、初年度は優秀をいただいたのでがんばったにもカカワラズ、佳作や落選と続いたので再考せざるを得なくなった。
「山田の短歌はイミフでベテラン審査員に受け入れられない」
現代短歌の批評家・菱川善夫に師事したことで現代短歌の醍醐味である難解さが大好きになり、ヒジョーに破綻・破調なる短歌を詠んでいたことが要因である。(先生ごめんなさい)
そこで、長らく封印していた小説を書くことにした。
大学生のときのアメリカンドリームは20代後半で枯れかかっていた。両親の末期がんや職場のブラックさに倒れたりというリアルが山田を喰い荒らしていた。
母は私がドリーマーなのを心配していたが、きっと作家になれると信じていた(と信じたい)。そこで母の思い出をモチーフに短編を書いて応募したら、佳作になった。選評の会では60代の女性と予想されていて驚いた。
翌年は市民文芸のほか、賞金がドデカイ某文芸賞(芸能人が受賞して話題になったのう)に焦点を当ててがんばっていたが、まったく筆が進まない。やがて締め切りが過ぎた。しかたなく、同じプロットでもう一度短編として書き、市民文芸に応募することにした。
それが勝敗の分かれ目であった。
母の死後、生還した父と人間関係がうまくいかず、家族としての在り方に悩んでいた。
その気持ちを小説の中で現わした。
それが『夏眠 ナツノネムリ』である。
実行委員会より自主製本を快諾いただいたので、当時の誤字と表現の明らかな間違いを訂正した改訂版を、現在発売中です。
その薄ーーーい文庫本には、ショートショート5編を収録しています。
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